top of page

ABOUT

天正13年(1585年)豊臣秀吉の弟である豊臣秀長により、現在の奈良県大和郡山にある五条村赤膚山に開窯された。

文化人として名高い「小堀政一(小堀遠州):1579年~1674年」の好んだ「遠州七窯」の一つとして数えられる窯である。

 

赤膚焼は名の如く器肌に赤みを帯びており、その名の由来は赤みを帯びた器肌という説と地元の地名である「赤膚山」から来たという二説がある。

その赤みを帯びた器に乳白色の萩釉をかけ、奈良絵と呼ばれる絵付けを施したものが良く知られる。

 

奈良絵とは御伽草子などを題材とした庶民的な絵柄で、微妙で稚拙な構図が器肌の素朴さを巧く引き出している。

 

上下二本の線の中に人形や家が描かれているものが多く、又、奈良の風景や鹿、昔の物語などといった様々な紋様が組み入れられてられている。

 

江戸時代後期には、藩主「柳沢保光」の保護を受け、幕末には名工「奥田木白」が仁清写しなどの技術を披露し世に広めた。

 

その技術は職人職人により脈々と受け継がれ、日本を代表する重要な文化として現在に至っている。

 

大塩正史陶房

当店では希少な奈良赤膚山の土を採取から精製までを職人の手により行い、一つ一つ丹精を込めて作成しております。

赤膚焼の特徴はやはり、陶土を素焼きしたときに生まれる陶肌の美しい赤み。

なかでも乳白色の釉と素焼きの地肌とのきわにそっと柔らかな赤味がさす景色は、赤膚焼ならではの味わいといえるでしょう。

また雅な奈良絵の絵つけも、大和の窯元ならではの作風として人気を得ております。

 

大塩正史

赤膚焼窯元正義「号八代正人」三男

 

1990年

奈良芸術短期大学

陶芸科専攻科 卒業

 

 

bottom of page